父との暮らしを決めるまで①ー母のこと
母は2年前に突然亡くなりました。
認知の症状は出ていたけれど、まさかこんなに突然にとは予想していませんでした。
母に認知症の症状が出始めてからは帰省のたびに母の話を聞き取り、病気になった時、葬儀のこと、お墓のことなどの意思を確認しました。もちろん、話の流れや聞き方は、母の機嫌を損ねないよう慎重にしました。
同時に母の若い頃の話や、何度も繰り返して話す樺太での生活や引揚げのこと(母は樺太からの引揚者でした)、その後の生活など、毎回同じ話を聞かされ辟易し、疲れていた父の代わりに耳を傾けました。
母が亡くなったとき、聞いておいたことで本当に私も父も助かりました。
葬儀も、お墓のこともすんなりと進みました。
何より救われたのは医療について母の「もう入院はしたくない、延命もしなくていい」という言葉でした。
母は病弱な人で大きな病気に何度もかかり、入退院も何度もしていました。薬も飲まない日は無かったし、食事にもとても気を使っていました。ですからあの言葉は母の心からのものだったと思います。
そんな母が認知症になり、病識が無くなり、薬も飲まず、食べたいものを食べ、病院へもかからず、2年ほどはまるで健康体になったのでは?と思う位の様子でした。
父は認知症の母に薬を飲ますことができなかったし、私も遠く離れて暮らしていて服薬管理をすることができませんでした。
もしかしたらそれが母の寿命を縮めたのではないか?とも思いましたが、長年、病気の陰にいた母が病気のことを気にせず、また、入院も延命も必要なく逝くことができたのだ、と、自分を責めずに済んだのです。本当に母と話しておいて良かったと、心から思いました。